【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第62回・儒教招魂社/靖国神社その② - 笑える動画、感動する動画、話題の動画をご紹介します。




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【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第62回・儒教招魂社/靖国神社その②


【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第62回・儒教招魂社/靖国神社その②

靖国神社は、明治2年1869年、大村益次郎の献策のもと、明治天皇の勅許をうけて、東京九段の土地に東京招魂社として誕生し、明治12年1879年には社名を靖国神社と改め、中身は極めて儒教的な招魂社でありながら外装は神社の装いを採ることとなり、以後、戦前戦後を通じて戦没者の魂を招魂し、天皇の参拝を以って慰霊するという形式を続けていたが、この形式は戦後の1978年に第6代宮司の松平永芳がA級戦犯を合祀するまでは国内外からの干渉や非難批判を浴びる事なく粛々と続いていた。戦後の靖国神社は、いかにわだかまりなく天皇の参拝を続けることが出来るようになるかに焦点を置き、A級戦犯合祀には極めて慎重な姿勢を採ってきた。しかし、第5代宮司筑波藤麿が 1978年3月20日に急死すると、国内の要職にあった極右勢力は、右翼思想家の平泉たかしや元最高裁総裁の石田和外や元A級戦犯容疑者で参議院議員の青木一男らが強力に松平永芳を推し、結局同年に松平が第6代靖国神社宮司に就任することとなった。松平は、特に、戦後、きゅうじょう事件と言って、昭和天皇を殺害して幼い皇太子を擁立して戦争継続を行うというクーデター計画を立てた陸軍将校たちを門下生に持つ極右思想家の平泉きよしの強い影響を受けており、この松平の代より極東軍事裁判批判や東京裁判史観批判や大東亜戦争肯定論などが訴えられるようになった。松平は、入江すけまさ侍従を通じて、昭和天皇の側近である徳川侍従長にA級戦犯の意志を伝えたが、昭和天皇は徳川侍従長を始め、複数の侍従たちにA級戦犯合祀への不満を述べており、それが徳川侍従長から入江侍従を通じて松平宮司に伝わったものの、昭和天皇の意志は無視したままA級戦犯の合祀は実行された。この事は、入江氏の死後、入江侍従日記から伝えられていたのだが...
動画ID:sm42366089
再生時間:82:45
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タグ:靖国神社,筑波藤麿,松平永芳


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