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浪曲|清水次郎長伝 5「長兵衛の義俠」広沢虎造
浪曲|清水次郎長伝 5「長兵衛の義俠」広沢虎造
その後も八尾ヶ岳惣七は使ひこみをして、次郎長に三百両もらって窮地を助けられたことがあった。その時分あまり强くはなかったが彼は関取だった。それで相撲の方は廃業して伊豆の久八といふ博徒の乾分になり、彼の妹は竹垣三郎兵衛といふ龜崎の代官のお妾にあがることになった。三郎兵衛の本妻が死んでお妾が本妻になった。さうして代官と義理の兄弟になった惣七は十手取縄を預かって、御用聞きと博奕打の親分の二足の草鞋を履く大出世をしてゐたのだった。その惣七の次郎長に対する「恩知らずの畜生ぶり」を勝五郎から聴いた森の石松はどうするか......────────────────なぜ今更この清水次郎長伝をポストしたかと申しますと、いま私たちが当然だと信じてゐる「平和主義」といふ主義の実態を、視聴者の皆さんと、どうしても確認する必要があると思ったからで御座います。こゝは紙幅に限りがありますので、詳しくはこの記事をお読みください。↓https://machikanebooks.exblog.jp/35496885/────────────────御存じ先代 広沢虎造の、この有名な次郎長伝はいったい何に取材した物語か。およそ清水次郎長の物語の原典は、ひろく黔首に膾炙してゐた次郎長の口伝を補完するかたちで著された『東海遊俠傳 一名次郎長物語』でございます。https://dl.ndl.go.jp/pid/900130その出來を探れば後に明治大帝の侍従になった山岡鉄舟に逢着いたします。鉄舟は幕末の剣豪であり、彼の紹介で一時次郎長に望まれて次郎長の養子になった天田五郎といふひとがあった。このひとの父は磐城国は平藩 安藤対馬守の家来、甘田平太夫といふ侍であり、後に五郎は鉄舟の門下で國學を學ぶ。この天田五郎が次郎長の恩義に報いるために記したのがかの『東海遊侠伝』でございます。するとこれは又聞きのお噺なぞではない。今日的に謂ふなれば「...
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