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【夕刊シチ デイリー両晋南北朝 1月26日号】303年11月~304年10月
【夕刊シチ デイリー両晋南北朝 1月26日号】303年11月~304年10月
資治通鑑原文5093文字(67/365位)【登場人物】・メイン1/1-司馬衷-1/291/1-劉淵-2/21/4-慕容廆-2/261/12-劉琨-2/10王導-3/5・準メイン1/11-司馬熾-2/41/13-司馬越-2/21/21-王敦-2/161/23-張軌-2/61/25-李雄-2/271/25-陶侃-2/27劉聡-2/10劉曜-2/22司馬睿【できごと】潜龍、立つ!混沌の幕開けこの年、ついに劉淵が立ちました。即位詔勅、すなわち晋に対する宣戦布告は、こう。「テメーらがクソやってんなら俺が天に代わって罰してやるよ」。ところで我々は当たり前のように匈奴漢と呼びますが、当時の情報流通であれば「本当に漢の末裔だった」と思っていた層もいたのではないか、と思います。自身を天罰と呼んでしまうのは、つまりそれだけ八王の乱の経緯がひどかった。一度は穎と顒を跳ね返した乂でしたが、形勢は不利。このため乂に参与していた越が裏切り、乂を捕らえ、顒に差し出しました。乂は焼き殺されます。こののち大権を握ったのは穎でした。すると越が今度は恵帝を奉じ、穎に向って決起するも、大敗。恵帝は穎に捕らえられ、鄴に連れ去られました。また敗北した越は東海に逃れました。このあたりの越の動きは正直、よくわかりません。なんで乂を裏切っているのに恵帝を奉じられるのかとかも、やっぱり意味不明すぎます。しかしゲームセットはまだ先です。鮮卑段部の勢力圏そばにいた人物、王浚が、段部の力を借り、穎の守る鄴に攻め寄せる構えをしました。うろたえた穎は洛陽に逃げようかと考えたのですが、これを止めたのが、このとき穎に仕えていた劉淵でした。劉淵は言います。自分が匈奴のもとに向い、援軍を確保します、と。そして穎が許可したため、劉淵は匈奴に合流。そして劉聡、劉曜らを率い、決起したのです。つまり劉淵は、密かに決起の準備を進め...
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タグ:中国史,西晋,東晋



