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【夕刊シチ2月3日号 311年06月】燃える洛陽! 王弥は怒る
【夕刊シチ2月3日号 311年06月】燃える洛陽! 王弥は怒る
通鑑5815文字(47/365位)【登場人物】・メイン1/4-慕容廆-2/261/12-劉琨-2/101/26-王導-3/51/27-石勒-2/261/17-拓跋猗盧-2/8石虎-3/14・準メイン1/11-司馬熾-2/41/21-王敦-2/161/23-張軌-2/61/25-李雄-2/271/25-陶侃-2/271/26-劉聡-2/101/26-劉曜-2/221/26-司馬睿-2/15司馬鄴-2/9【できごと】たびたび匈奴漢軍の猛攻を退けてきた洛陽城が、ついに陥落しました。この城にはじめに突入を果たしたのは、劉曜。伝統の有無など構わず、洛陽を焼き払います。次いで突入した王弥は、この有様を見て、怒りに震えました。「所詮胡人に帝業は理解できぬのだ!」――以降王弥は東方に引き返し、独立勢力的に動き始めます。この事態を受け懐帝は洛陽を脱出、長安に赴こうとしましたが、途中で捕まり、劉聡のもとに引っ立てられました。洛陽は天下のへそ、各地に向かう、その要。ここを寸断されたことにより、晋は長安、江南、そして劉琨に切り分けられました。状況を紹介するにあたり、王浚はむしろこうした事態を独立のチャンスと見ていたようですので除外。まず劉琨は洛陽に救援に向かえるはずもありませんので、なんとか自前で勢力を構築しなければなりません。ここで自軍に捕虜として抱えていた石勒の母や親族の子たる石虎を石勒に返還、共闘を望みましたが、断られました。長安は恵帝や懐帝の甥に当たる司馬鄴を推戴しました。のちの愍帝です。そして江南には、この頃西晋ゆかりの官僚たちが多く流れ着いてきていました。石勒による司馬越残党撃滅は、思ったほどの徹底ぶりではなかったのだろう、と言うのがここでも伺えます。王導はこうした人材を取りまとめ、改めて国体運営を決意します。王導です、司馬睿ではなく。一方、襄陽を中心に勢力基盤を築いていた石勒ではあ...
動画ID:sm45905850
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タグ:中国史,西晋,東晋



