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プロコフィエフ:バレエ音楽「鋼鉄の歩み」作品41
プロコフィエフ:バレエ音楽「鋼鉄の歩み」作品41
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=BNMV6TKf8O0)。1925年、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフは、プロコフィエフにバレエ音楽の作曲を依頼します。当時、ディアギレフはソビエト連邦が新経済政策(ネップ)によって急速にロシア内戦による経済の疲弊を回復させて工業化を進めたことに注目して、ソ連の工業化政策を称賛するバレエという着想を得ており、その音楽をプロコフィエフに任せることとしました。このとき、プロコフィエフは交響曲第2番の初演が失敗して意気消沈しており、一度は依頼を断りましたが、ディアギレフは「プロコフィエフ自身のスタイルでソ連を称賛する曲を書いてほしい」と説得し、これに応じて作曲を手掛けることとなりました。作曲にとりかかると、プロコフィエフはバレエの台本の作成にも参加し、ソ連の工業化に焦点をあてて、舞台にはハンマーや斧を振るう労働者を登場させるというストーリーを提案し、これをディアギレフが受け入れて、バレエ「鋼鉄の歩み」作品41が完成しました。初演は1927年6月7日、パリのサラ・ベルナール劇場で行われ、批評家の反応は賛否両論でしたが、興行的には成功を収め、3シーズンにわたって上演されたほか、ロンドンやニューヨークでも初演されました。しかし、あからさまなソ連礼賛のプロパガンダ作品として西側での演奏は敬遠されるようになり、ソ連でもスターリン体制化で本作の大本となったネップが否定されて、ソ連国内での演奏も行われなくなったため、バレエの演奏は激減することとなります(この動画はソ連で録音されましたが、ソ連が求心力を失い、崩壊する間際の1990年のものです)。その代わり、バレエ音楽の中から4曲が抜粋された組曲(作品41bis)が作られ、こちらはソ連国内で比較的多く演奏されるよ...
動画ID:sm46284191
再生時間:30:06
再生回数:再生回数: 回
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タグ:現代音楽,プロコフィエフ,鋼鉄の歩み



